ビッグ・アップル
http://www.mctv.ne.jp/~bigapple/
ページトップ:白骨の山 全身ボロボロ少女(大村病院)
Victim0 :こっち見んな
Victim1 :耳から肩ケロイド
Victim2 :立膝両手上げ
Victim3 :顔面~大腿部前面火傷の男性
Victim4 :顔面と腕火傷ひび割れ
Victim5 :gisei34.gifと同じ(腹巻以外全部熱傷)
Victim6 :背中焦げてひび割れの女性
Victim7 :畳少女
Victim8 :鼻損失
Victim9 :顔面損傷下顎部損失で舌出し
Victim10 :治療中の頭部火傷から膿
Victim11 :背中~後頭部火傷うつぶせ
Victim12 :西練兵場の兵士死体
Victim13 :顔面火傷の動員女子学徒・両手上げ
Victim14 :口元から首筋までケロイド
Victim15 :背中全面火傷の少年(カラー)
・スレ立てから3時間で10レス未満
・1週間(168時間)書き込みなし
過疎っている場合は保守書き込みのご協力をお願いします(上げる必要はありません)
http://hpmmuseum.jp/?lang=jpn
改装後の常設展示
http://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=FacilityView&facility_id=1&lang=jpn
平和データベース
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/database/
旧バーチャル・ミュージアムより
「主な展示を見る」
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vit_exh.html
「キッズ平和ステーションヒロシマ」
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/kids/index.html
長崎原爆資料館
http://nagasakipeace.jp/
所蔵品検索
http://www.city-nagasaki-a-bomb-museum-db.jp/index.php
以下2サイトは閲覧の際、グーグル・アースプラグインのダウンロードが必要
(※ダウンロードページ http://www.google.co.jp/intl/ja/earth/download/ge/
下記サイト内からもダウンロード可。無料)
ヒロシマ・アーカイブ
http://hiroshima.mapping.jp/
ナガサキ・アーカイブ
http://nagasaki.mapping.jp/
http://www.peace-museum.org/
広島原爆写真館
http://www.aeras.jp/abomb/
世界遺産『原爆ドーム』を24時間ライブ中継!!
http://www.mix-net.co.jp/live/live.html
学校HP内の記録および個人の手記など
http://www.urban.ne.jp/home/kibochan/miyakou/cg.htm
http://www.coara.or.jp/~ryoji/abomb/abombindex.html
原爆模擬弾パンプキン
原爆投下の練習として日本各地に50発も落とされたらしい
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-mogi.htm
長崎新聞HP内の証言
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/index.html
Q:原爆で地面に人影が焼きつけられたというのは本当ですか?
A:「人影が焼き付けられた」と言われている石は旧日本銀行広島支店の
正面玄関石段(花崗岩)に残っていました。
現在、石段部分は保存され 広島の原爆資料館に展示されています。
ちなみに影を残した女性は投下数分前に現場を通った知人(生存)に目撃され、
ほぼ氏名が確認されています。
(この人は遺体を搬送されており、蒸発したわけではない)
また 最近の学術調査で、影の成分が石の成分変化でなく、炭素系物質である
ことが確認され、「影」ではなく人体の溶融物ではないかと考えられています。
Q:原爆で人は蒸発するのですか?
A:広島・長崎型の初期型核爆弾ではしません。
ただし爆心直下で外に出ていた人は致死量の放射線を浴び
即死する可能性が極めて高いです。
Q:爆心直下にいたのに命拾いした人がいるというのは本当ですか?
A:爆心地(島病院)の元安川をはさんだ対岸にある燃料会館
(現・平和公園レストハウス)に勤務していた野村英三さん(当時47)は
被爆当日の朝出勤し、原爆投下時にはたまたま書類を取りに
地下室に下りていて熱線や爆風を直接浴びることなく命拾いしました。
地下室は非公開ですが現在も保存されています。
8月5日 00:37 天候観測機3機離陸
8月6日 01:45 エノラ・ゲイ離陸
02:00 機内にて爆弾最終装填始まる
02:15 同作業終了
04:55 硫黄島上空到着
05:05 グレートアーチスト、ネセサリーイーブル合流、日本へ
07:00 機内にて乗員朝食
07:09 警戒警報発令
07:15 ストレートフラッシュより広島市上空の天候報告受信、勧告、主目標を爆撃せよ
07:31 同警戒警報解除
08:06 松永監視所 敵大型機2機、西北進中
08:09 同報告、3機に訂正
08:13 エノラ・ゲイ、西条上空通過、中国軍管区司令部「0813ケハ」命令
08:14 エノラ・ゲイ、目標、相生橋を捉える
08:15 原爆投下、離脱 グレートアーチスト計測器3個投下離脱、中国管区司令部警戒警報発令
08:16 リトルボーイ、地上570mで爆弾炸裂。投下高度9473m
12:00 乗員機内にて昼食
13:58 エノラ・ゲイ、ノースフィールドに帰投
18:00 乗員ノースフィールドにて夕食
(距離は爆心地からのもの)
(死亡率;高度=100~50%、中度=50~10%、軽度=10~0%)
屋外(開放)の場合;
~1km 1~2km 2km~
▼外傷 高度 軽度
▼熱傷 高度 中度 軽度
▼放射線傷害 高度 中度 軽度
屋外(陰)の場合;
~2km
▼外傷 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(~1.5km) 軽度(1.5~3km)
木造家屋内の場合;
~2km 2~4km 4~6km
▼外傷 高度 中度 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(~1.5km) 軽度(1.5~3km)
コンクリート建築物内の場合;
~2km
▼外傷 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(~0.5km) 軽度(0.5~1.0km)
以上の事から分かる通り、初期型原爆の一次被害はそれほど大きくない。
原爆がものすごい威力で人が一瞬にして蒸発するとか、誤解を受けているのは
戦後、一部の半核団体等により、壊滅範囲や死亡者数が誇張されていた為
(例えば死亡者数約30万人、実際はその半分程度)
・原爆投下には事前予告があり、限られた人だけが知っていた。
・爆心地では原爆の熱線で一瞬にして蒸発した(全身が炭化して灰になった)人がいる(FAQ参照)。
・原爆投下直後の広島市街中心部を写したカラー動画(カラー写真)が存在する。
・エノラゲイ搭乗員は腕時計を携帯していなかった。
・原爆投下直後、救援を求める少女の声がラジオに流れた。
・原爆の熱線で人の皮膚がドロドロと溶ける
・かつて原爆資料館に展示されていた被爆者マネキンには目玉が飛び出しているものが存在した。
・資料館に展示されていた被爆馬の剥製標本は悪臭を発していた。
・原爆の放射線は健康によい。
http://www.coara.or.jp/~ryoji/abomb/abombindex.html
http://www.urban.ne.jp/home/kibochan/miyakou/cg.htm
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vit_ex/vit_ex3.html
> 広島の被爆に関する相変わらずの大本営発表に憤慨し、広島の実情を伝え
> なければと被爆した身体で旧知の長崎市長を頼って9日の朝に長崎に到着
> し、そこで再被爆した、広島の地方新聞社の社長だか何かの役職について
> いたという人物がいなかったっけ?
> 別人かも知れないけど、
> 昔、二重被爆した人を広島のローカルニュースで見た。
> そのときは無傷だったけど、昭和30年に職場で倒れて以来、寝たきり。
> 天井から撮り下ろすようなカメラアングルだった。
> 奥さんが平和公園で働いていた。
http://www.bekkoame.ne.jp/~hujino/no26/26yamasaki.html
の冒頭
> ナース・キャップは、わたしの宝物
> 二重被爆元看護婦の車中談 山崎 優
> 1996年4月2日夕方。JR芸備線の列車内。「芸備線を走ると、あの日の事を思い出すんよ」。列車が広島駅を
> 発車した途端、偶々同席した郷土史会で顔見知りの婦人が呟いた。この呟きが私の心にひっかかった。
> 「それでーーー」と、水を向けた。婦人は堰を切ったように語り始めた。話しは、私が下車する迄のまる一時間に及んだ。
> 話しを総合すると、この婦人は昭和十九年から二十年の敗戦後にかけて、日赤の看護婦として長崎県の大村海軍
> 病院て勤務した。その間に出張中の広島で被爆。帰任した大村海軍病院で長崎の被爆者の救護活動に従事した。
> いわゆる二重被爆と言う数奇にして、過酷な体験の持ち主だったのだ。
千羽鶴のサダコさんのサイト内の↑の
中央付近に眼球が飛び出た写真がある
世界遺産『原爆ドーム』を24時間ライブ中継!!
http://www.mix-net.co.jp/live/live.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/index.html
長崎新聞の被爆者体験談
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/database/
広島平和データベース
8月6日01:45 エノラ・ゲイ離陸
02:00 爆弾最終装填始まる
02:15 同作業終了
04:55 硫黄島上空到着
05:05 グレートアーチスト、ネセサリーイーブル合流、日本へ
07:00 機内にて乗員朝食
07:09 警戒警報発令
07:15 ストレートフラッシュより広島市上空の天候報告受信、勧告、主目標を爆撃せよ
07:31 同警戒警報解除
08:06 松永監視所 敵大型機2機、西北進中
08:09 同報告、3機に訂正
08:13 エノラ・ゲイ、西条上空通過、中国軍管区司令部「0813ケハ」命令
08:14 エノラ・ゲイ、目標、相生橋を捉える
08:15 原爆投下、離脱 グレートアーチスト計測器3個投下離脱、中国管区司令部警戒警報発令
08:16 リトルボーイ、地上570mで爆弾炸裂。投下高度9473m
12:00 乗員機内にて昼食
13:58 エノラ・ゲイ、ノースフィールドに帰投
18:00 乗員ノースフィールドにて夕食
(距離は爆心地からのもの)
(死亡率;高度=100~50%、中度=50~10%、軽度=10~0%)
屋外(開放)の場合;
~1km 1~2km 2km~
▼外傷 高度 軽度
▼熱傷 高度 中度 軽度
▼放射線傷害 高度 中度 軽度
屋外(陰)の場合;
~2km
▼外傷 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(~1.5km) 軽度(1.5~3km)
木造家屋内の場合;
~2km 2~4km 4~6km
▼外傷 高度 中度 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(~1.5km) 軽度(1.5~3km)
コンクリート建築物内の場合;
~2km
▼外傷 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(~0.5km) 軽度(0.5~1.0km)
なんでも、防空壕、屋内に入っていた市民をひとりでも多く屋外に出して、威力を高める
ためだったとか。
この話が、仮に事実だったとしても、その落下傘を眼にした市民は皆、死んでいる。
広島・長崎の原爆の正当性を、いくら米国人が主張したとしても、その後半世紀以上
たっても、実戦使用された例はひとつもない。(朝鮮戦争で使用しようとしたマッカーサー
はトルーマン大統領に解任された)米国人も倫理的な問題を感じているからだろう。
その意味で、HIROSHIMA,NAGASAKIの尊い犠牲は今も世界の遺産なのである。
http://www.exploratorium.edu/nagasaki/mainn.html
[内容]
表紙→英文→燃える街を背に歩く2人→おにぎりを持つ親子→
撮影者の言葉→焼け残った鳥居→焼け跡。中央に遺体→焼け跡→
焼けた馬車と被爆した馬→工場→遺体→防空壕にいて助かった少女→
火傷した弟を背負う少年→撮影者の言葉→焼死体の傍で立ち尽くす少女→
黒焦げの焼死体→撮影者の言葉→遺体?を運ぶ人達→撮影者の言葉→
遺体数体と怪我人。それをスケッチする画家→その画家がスケッチした絵→
横たわる被爆者、水を飲む女性、座る男性→怪我人の治療をする看護婦→
火傷を負った乳飲み子と、呆然とする母親→撮影者の言葉→表紙に戻る
凄い・・・
http://www-sdc.med.nagasaki-u.ac.jp/n50/hakui/hakui-sjis.html
・スレ立てから3時間で10レス未満
・1週間(168時間)書き込みなし
過疎っている場合は保守書き込みのご協力をお願いします(上げる必要はありません)
客「ラーメン一丁」
ワイ「はいよ!ラーメン一兆!」
ワイ「お会計650兆円です」
客「スタンプカード押してください」
ワイ「あああああああああああああ!!!!(ダダダダダ)」一兆回連打
真っ黒に焼かれながら懐に子供を庇って死んでいた猿の話は特に生々しく恐ろしかった。
祖母が亡くなった後に、祖母がに 姪を探して原爆投下翌日の市内に入ったということを知った。
この世の地獄は話すには辛すぎたのだと思う。
しかし心にしまうには傷が深すぎて、誰かに言わずにはいられなかったのだろう。
普段陽気な祖母が最後まで語れなかった原爆。
父方の祖母は産業奨励館の真裏で被曝し、幼い子の将来を案じながら原爆症で亡くなった。
どうか皆安らかに眠ってほしい。
Miss Atomic Bomb 1957.
日本人は実験台にされるのでしょうか? あの原爆投下も 実験目的もあったように伝えられていますが、 とにかく私たちは、 アメリカのモルモットではありません!
加害者としての戦争についてはまったく教えてこなかった
とにかく原爆、原爆、原爆、庶民はだまされただけ、こればっか
まあ現状はその帰結だわ
ニホンザルは世界の癌、アジアのペスト菌、まごうかたなき人類の敵
ひとすじの遺伝子さえ残さず、地上から完全に消滅しろ
1961年の水爆実験で、使われた
ツァーリ・ボンバーは、半分のサイズ
ロシアは核弾頭を搭載できる原潜を保有
ロシアには死の手がある
(国家機器の際、AIが自動で核兵器を放つ)
「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。
辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。
兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」
と漏らしたことが、
元侍従の故小林忍氏の日記に記載されていることが分かった。
共同通信が22日までに、小林氏の日記を入手して判明した。
日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が
晩年まで戦争責任について
気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。
昭和天皇がこの前日、住まいの皇居・吹上御所で、
当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。
当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた。
この年の2月には弟の高松宮に先立たれた。
小林氏はその場で
「戦争責任はごく一部の者がいうだけで
国民の大多数はそうではない。
戦後の復興から今日の発展をみれば、
もう過去の歴史の一こまにすぎない。
お気になさることはない」
と励ました。
同じ4月7日に
「長生きするとろくなことはないとか
小林侍従がおとりなしした」
とつづられている。
宮内庁長官だった故富田朝彦氏が残した「富田メモ」は
「昨夜当直小林(忍)侍従に、
弟を見送り戦争責任論が未だ尾を引き、
そして負担軽減云々で長生きしすぎたかと洩らされた旨」
と記す。
日記には昭和天皇がこの時期、
具体的にいつ、誰から戦争責任を
指摘されたのかについての記述はない。
直近では、86年3月の衆院予算委員会で
共産党の衆院議員だった故正森成二氏が天皇の責任を追及、
これを否定する中曽根康弘首相と激しい論争が交わされた。
88年12月には長崎市長だった故本島等氏が
「天皇の戦争責任はあると思う」と発言し、
波紋を呼ぶなど晩年まで度々論争の的になった。
小林氏は人事院出身。
昭和天皇の侍従になった74年4月から、
側近として務めた香淳皇后が亡くなる2000年6月までの26年間、
ほぼ毎日日記をつづった。〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34467630S8A820C1CR8000/